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2016年9月5日月曜日

8/29 再発防止研修に抗議と大阪のMさんの都教委への抗議 

8/29田中さんの再発防止研修に抗議と激励の行動をしました。抗議行動が終わってから、大阪のMさんが都教委への抗議行動をしました。 渡部さんの報告です。

















★8月29日(月)、今年3月の卒業式で「君が代」処分(減給10分の1、1ヶ月)された田中聡史さん(石神井特別支援学校)への「再発防止研修」(3回目の所属校研修)が、またしても都の研修センターで行われました。(抗議・支援行動に約60名が参加)。
これについてはすでに近藤徹さんなどいくつかのメールで流れていますがので、簡単にします。

★抗議の中で、まず代理人の澤藤弁護士は、かなり力を入れて都教委を糾弾しました。
これについては、<澤藤統一郎 「憲法日記」 8月29日号> 
  <http://article9.jp/wordpress/?p=7400>
「 転向を強要してはならない。良心に鞭打ってはならない。『服務事故再発防止研修』強行に抗議する。」をご覧ください。

★つづいて、<被処分者の会>、<ひのきみ全国ネット>、<練馬教育問題交流会>、<河原井さん・根津さんらの「君が代」解雇をさせない会>から要請文が都教委職員に手渡されました。

★田中さんが研修所に入った後の集会では、今回も大阪から駆けつけてくれたMさんは次のように述べました。
 「警察(車道に2台の警察車両)までも動員して田中さんへの弾圧をしている。こんなやり方が法治国家で許されるのか。しかも授業を犠牲にしてやっている。こんなことがありうるのか。なぜ、田中さんだけ所属校でやらないのか。それで、7月に都教委に情報公開をかけた。8月25日にやっと公開されたが、何も理由がわからなかった。」

★研修終了後、出てきた田中さんは次のように述べました。
 「今回は、まとめとして<振り返りシート>を記入させられた。最後の方の設問は、内容を理解したか、今後どういうふうにするか、というようなことだった。明らかに、同じことの繰り返しであり、思想・良心の自由に踏み込むものだ。裁判所の決定(東京地裁、2004年7月)にあたかも挑戦しているかのようだ。教育委員会はこのような態度をとるべきではない。」

★ところで、その後、大阪から来たMさんの行動がありました。
大阪から来たMさんは、抗議集会終了後、参加者が帰った後に、情報公開で、所属校から研修センターへの変更理由が何も述べられていないことに対し、質問しようと研修センターに入ろうとしました。
しかし、職員2人がゲートの前に立ちはだかり入れさせません。雨もひどくなっていたので、せめて屋根のある所に行って話をしたいと言っても全く無視です。
そこで、Mさんはその場で都教委に電話をし、「こんなことが許されるのか、これから都教委に行く」と言い、都教委に向かうことになりました(渡部も同行)。
都教委に行く。

★都教委に行くと、文書課(1人)と情報教育課(2人)が対応しました。そして、研修センターの対応の酷さについて話すと、情報教育課のKさんが、センターに連絡を入れてくれ、「これからもう一度そちらに行きたいと言っている」と伝えてくれました。
しかし、研修センターからの返事がなかなか来なかったので、Mさんは、Kさんが連絡してくれたことに礼を言い、直接もう一度研修センターに行くことにしました。
研修センターに着くと、すでにゲートは空けられており、透明ドアの後ろに2人の職員が私たちを待っており、中に入れ、椅子と机のあるところに連れて行き、話をすることになりました。

★Mさんは、「先ほどの2人に謝ってほしい。雨の中ヤクザ以下に扱われた。集会が始まる前にも『情報公開の件で質問したい』と言っている。しかし、終了後来たら、全然対応しない。しかも雨が土砂降りの中。あんな対応があるか。人間扱いではない。」
それに対し2人の職員は「緊張した一連の流れの中だったので・・・」と答えたので、Mさんが「じゃ、今はどうなの。当然だったと言うのか。それで押し切るのか、それならそれでいいよ。」と言うと、一人が「ちょっとした雨除けのところで待ってもらうのが一般的・・・」と答えた。

★それで、Mさんは「私を通さなかった先ほどの2人の見解を聞きたい。自分は大阪から6月15日の再発防止研修抗議集会に始めて来た。一番わからなかったのは、校外学習があるのに、また変更願も出ているのに、それを無視し研修をやっていることだった。また、他の二人(高校勤務)は所属校で研修をやっているのに、なんでここでやるのかということだった。それで情報公開した、しかしその疑問は解けなかった。こんなことはどこで決めたのか。誰の責任でやったのか。資料には研修について、『やむをえないときには相談を』『校長が計画を作る』とも書いてある。支援学校の田中さんだけどうしてセンターでやるのか。差別ではないか。」と質問しました。すると、彼らは、「やむを得ない場合というのは、身内の不幸、台風などの自然災害・・・」「場所はどこでやってもいいことになっている」などと答えたので、Mさんは、「それは通らない。考えられないことだ。もっと真摯に対応すべきだ。今日は犯罪者以下の扱いをされた。聞く耳を持たなかった。
都教委は裁判所の決定も守らず、市民からの声にも耳を傾けずやっている。聞く耳をもって欲しい。こうやって会えたのもKさんのお陰だ。」ということで終わりました。

★結局、今回は、田中さんの所属校での再発防止研修が、どうして研修センターでの研修になったのか、その理由は分かりませんでした。
しかし、大阪のMさんの努力で、研修センターの職員二人と会って、ゲート前での職員の2人の振る舞いに対する抗議と田中さんのセンター研修への変更理由の質問を、直接行うことが出来たのではないかと思います。
Mさん。大阪から来ていただき、本当にありがとうございました。