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2016年6月1日水曜日

5/27 都教委定例会 根津公子さんの傍聴記

5月27日(木)に行われた都教委定例会の、根津公子さんの傍聴記です。


78名の新規採用教員が実質クビを切られた!


◆議題は公開議題が、
①昨年度の指導力不足等教員の指導の改善に関する認定等及び条件付き採用教員の任用について 
②昨年度下半期の都民の声(教育・文化)について。

非公開議題に懲戒処分の議案と報告があった。木村教育委員の姿はなかった。

▼サミット警備の都庁入り口


①昨年度の指導力不足等教員の指導の改善に関する認定等及び条件付き採用教員の任用について

■指導力不足等教員に認定された人は7名(例年と変わらず)。うち、2名は病気休職となり、研修を中止。休職から復帰した時点で研修再開ということだ。研修を受けた5名のうち、1名は認定解除、学校復帰。4名は認定解除とならず、そのうちの2名は昨年度が指導力不足等教員認定の1年目だったために、今年度も研修継続となる。残る2名は指導力不足等教員認定2年目だったため、1名は自主退職、もう1名は行政職への転職選考を受験するという。

この7名がどういう経緯で指導力不足等教員に認定されたのか、私たちには明らかにされない。しかし、校長の申請・調書提出はあるものの、都教委の物差しによって、「都教委にとって好ましからざる教員」を指導力不足等教員に認定する危険性は大きい。

事実、私は2001年に指導力不足等教員に認定されそうになった。従軍「慰安婦」問題を授業で取り上げたことをきっかけにして始まった攻撃のなかで、2001年9月、校長は私を指導力不足等教員として調書を提出した(区市町村立学校は校長が調書を区市町村教委に挙げ、教委が申請する)。校長は、「これで私の仕事は終わった」と明言した。多摩市教委が申請をしたが、都教委の指示に従った申請であったことは間違いない。

それに対して私が黙っていたら、指導力不足等教員に認定されていたことも間違いない。メール等を通じて事実を公開し、都教委と渡り合ったことによって2002年3月、「指導力不足等教員に認定しない」の通知を手にしたのだった。だから、毎年この人数を見るにつけ、指導力不足等教員認定が「都教委にとって好ましからざる教員」の排除に使われているのではないかと疑念を持っている。

■条件付き採用教員の任用について。教員の場合、新採用1年目は条件附採用期間であって、本採用は1年後と決められている(教育公務員特例法12条)。昨年度の条件附採用教員は2982名。うち、78名(2、6%)が正式採用とならなかった。78名が実質クビを切られたということだ。その内訳は、年度途中の自主退職が63名(うち、病気が29名。「クビになるより、自主退職のほうがキズがつかない」と校長から言われる人が例年多いとのこと)、正式採用「不可」となっての年度末自主退職が12名、懲戒免職等が3名(これは説明がなく、不明)という。
年度ごとの推移を見ると3%前後の人が正式採用されない。これも、指導力不足等教員と同様、校長が判断・申請することになっている。校長の当たり外れが大きいようだ。

▼定例会の部屋に向かう


2011年に正式採用とされず、免職にされた新任教員は、その取り消しを求めて裁判に訴えたところ、昨年勝訴、職場に復帰した。この事例が示すように、条件附採用の実態は校長の恣意で一人の教員の職を奪う制度である。力量のある教員確保のための制度では断じてない。
かつての学校は、年配者が若い人を指導し、協働する職場であった。その関係性を壊したのが、昇格・人事評価に連動した昇給制度を導入した文科省であり、都教委である。
ついでに言うならば、教員免許更新制度も、力量のある教員確保のための制度ではなく、「教委にとって好ましからざる教員」を排除する制度。これらの問題に、教職員組合が闘ってこなかったつけがいかに大きいことか。

②昨年度下半期の都民の声(教育・文化)について
「苦情」が2015年度上半期よりも多くなったのは、「ハングルで書かれた都立高校入学案内をつくったことに対して」だという。都教委HPを見ると、ハングルのほかに、英語版、中国語版もある。どの国出身の保護者にも理解できる入学案内をつくるのは、行政として当然のことだ。なのに、インターネット上には、ハングル版を作ったことについて罵るHPがある。これと同じ考えを持つ人たちが組織的に「苦情」を都教委に寄せたのかと思われる。

請願・陳情で多かったものは、「都立高校定時制課程の一部(小山台、雪谷、江北、立川高校)閉課程に関するもの」と、「日の丸・君が代」強制と教職員処分について。都教委は、このどちらについても聞く耳を持たない。教育委員からの発言も全くない。かたちだけの「都民の声」の受付、集約であり、なんとむなしいことか。